太陽と月、生と死の狭間

誰にも公開していない、匿名だから書ける事を懇々と書き続けるブログ

夫はテレビ依存症

としか、もう思えない。
とにかくTVテレビてれびterebi・・・。
朝起きたらテレビをつけ、帰ってきたらテレビをつけ、アニメや好きな趣味の番組録画をし、CM編集までしてBlu-rayに保存する。
毎日毎朝、毎晩テレビTVてれびterebi。365日。
一度聞いた事がある。どうしてそんなにテレビをつけっぱなしでいられるのか?
彼曰く「環境映像」なんだそうだ。
とにかくテレビをつけていないと落ち着かない。音の無い世界が耐えられないのかもしれない。
別に番組を見ているわけでも何でもない。とにかくただ「つけているだけ」。

私はその環境が大嫌いだった。
まず、私の発達障害という特性上、テレビの内容は「情報」として記録される。
環境音楽というものは自宅で、私の中には存在しない。
唯一「他の情報を入れないため」仕事中にヘッドホンで音楽を聴く。しかも聴き慣れたものをリピートする事によって記憶容量が増えないで済む=ストレスが少ない。
(そういう意味では、デパートやカフェの「環境音楽」は本当に計算されているなと感心してしまう。それでもJ-POPのアレンジは気になるが)
そして、テレビを見ているのかと話かければPCの画面を見ている。もちろん、私がいても私の話は聞かない。
何か話題を振っても、興味が無ければ「興味が無いから」と一蹴される。
そこから何かを発展させようとか、コミュニケーションを円滑に図ろうなんていうのは、彼にとって「下らない」以上の何者でもないのだろう。
会話が無いのに、用事が無いのにいてもしょうがない。私は別室(寝室兼私の仕事PCがある部屋)へこもるようになった。
そこから文句が出始めた。構ってもらえない、一緒にいてもらえない。ぐずぐずと子どものような駄々をこねるので、上記の事をはっきり言った。
私はテレビは「情報を取得するため」「ストーリーを楽しむため」「音楽を覚えるため」など明確な理由がある。
あなたには無いかもしれないが、私にはその理由もないのにテレビをダラダラつけ、予約録画が終わってもメニュー画面で放置しっぱなし。
そんなだらけた生活は耐えられない。
そして、テレビで会話する事もない。私の話題や自分に興味の無い事には一切関心を示さない。
一生懸命会話をしているのに「興味がない」の5文字で終わらせられる気持ちがわかる?
夫は黙って不機嫌になった。だが、そこから私の行動に文句や難癖をつける事も随分少なくなった。

さて、先ほど「テレビ依存症」で悩む妻のネット相談を見た。
コメントの多くは「つまらない会話をしているからじゃないか」「テレビ以上に面白いものがないからじゃないか」という回答が大半だった。
そして、多くの人々が「私もテレビ好き。一日中つけて見ている」という回答だった。

テレビ以上に面白いものがないからつけっぱなし。
そんなつまらない人生を送って、何が楽しいんだろう。
少なくとも、私にはつまらない。動くものを目で追い続けるだけなら、誰でもできる。そこに価値は見出せない。
価値観は人それぞれだ。ただ、巻きこまないで欲しい、強制しないで欲しい、放っておいて欲しい、と懇願してしまう。
私は音楽を楽しみ、会話を楽しみ、人と「共有」する事を楽しむ。
夫は全く逆。やはり、未来永劫のソリストであり続けるんだろうな、と思う。

なら、どうして私を「結婚」という共同生活に巻きこんだ?
今さら両肩を掴んでがっくんがっくんしながら問いただしたいが、時既に遅し、なんだろうな。

私自身が早く一人で生きていく手段を持つしか方法がない。まだ、スタートラインにも立てていない。
急がないと。スタートラインに立つ前に、自ら命を絶ってしまいそうだ。

埋まったページは消せない、上書きもできない、絶対的な価値観。

精神科主治医に自分の考え方を話した事がある。
簡単に言うと「私はこの世において不要な人間であり、自分の代わりはいくらでもいる」という概念だ。
これは幼少時からの思考回路であり、恐らく死ぬまで、いや死んでも?覆る事はないだろう。
それほど、12歳までの「虐待」とも言える大人達の所業は凄まじいものだった。
(敢えて「大人達」と書いた。そのうち後述する)

私が死んでも、せいぜい親族や友人・知人合わせて哀しむのは5年程度だろう。
5年もすれば、みんなキレイさっぱり忘れて、元の生活を営み始める。
私の価値は、5年で消える程度の存在だ。
そして、私が死ねば、別の人が私の代わりに今の仕事も、立場も請け負ってくれるだろう。
簡単に言えば「別に私じゃなくても、誰でもいい」のだ。

主治医は「脳の機能が一部驚異的な発達をし、記憶力や言語力が飛び抜けた才能がある。それが自閉症というもの。
そして、その記憶も歴史も、決して覆せるものではない。例えるなら、ノートの前半が既に書かれている状態。
だったら、その後ろを自分の思うように書いていくしかないんじゃないか。
そして、できれば、そのノートの前半も、書き換えていければいいんじゃないか」

キレイゴトを吐きやがって。

私は笑顔で「そうですね」と言いながら、内心毒づいていた。
祖母に「お前が産まれなければあの女にパパは騙されなかった」と言われた事を、書き換えろと?
「お前の帰る場所は無い。ママのところにいってみな。あの女は嘘つきだからお前を見捨てるよ。私が拾ってやったんだ」と恩着せがましく言われた事を忘れろと?
決して迎えに来ず、助けにも来ず、自分達の身可愛さで静観し、自分達の生活と引き替えに娘を人身供物に差し出したあの両親を、赦してやれと?

人は、経験した事しか理解できない。その痛みも、傷口も、慟哭も、絶望も、絶対に理解できない外の範疇にある。
精神科と言っても、所詮法律と理論に縛られた存在だ。ただ、受診している事で、法が認める「障害者」になれる。それだけ。

この絶望をどうやって返してやろうか。どうやって復讐し、どうやってあいつらを奈落の底に叩き落とすか。
そればかりを考えながら、安定剤と睡眠薬を飲み続ける。
そして二週間に1回、「どうやって自殺しようか」と夫の部屋から持ちだしたネクタイをドアノブにかけて試してみる。
そんな現実を、夫は何1つ知らない。もちろん、私がどんな形で死んでも、彼が責められる事はない。
夫は「健常者」だから、持ち上げておくに越した事はない。「健常者」の主観が、日本の社会での全てだからだ。
結果、それは私の生活にも影響が出る。万が一の時に、「ご主人も奥様も頑張っていたんですよ」と証言するだろう。
だから、主治医の前では「いい夫なんです」と言い続けた。
言語IQと生来の「演じる」力で、夫は見事に「理解のある、優しく聡明な人間」としてインプットされたらしい。

所詮、その程度だ。

さて、今日も考えてみるかな。
私を苦しめ、一生を棒に振る程の傷を残した連中に、どうやって復讐し、その後どうやったら楽に死ねるか。
どうやったら私の苦しみの100倍の絶望と苦しみを生涯味わえるか。
今のところの、最大の課題だ。

17時32分。義両親はセカンドライフを楽しむための旅行中。私は一人、留守番のために残る一人部屋にて。

夫との会話が続かない

結婚して丸5年。
「結婚するために頑張ったからもう頑張らない」と本性を出されて4年ぐらい?
本当に夫との会話が成り立ちません。
何て言うんだろう。多分何にも知りたくないんだよね。

日頃私が何を考えているのかとか
どんな暮らしを望んでいるのかとか
どんな風にコミュニケーションを取っていきたいのかとか
今後どんな夫婦であり続けたいのかとか。

とにかく「私の全て」に興味が無いんだと思う。
会話にも、行動にも、趣味にも、仕事にも、全て。
夫にとっては結婚がゴールだったのだ。後はどうでもいい。好きなように、自分が困らないように暮らしてくれればいい。その程度。

自分がやりたい事をやり、
休日は一人でPCの前に貼り付いてテレビをつけっぱなし。
最初の頃は頑張って一緒に見てたっけなぁ。車とか登山とか、昭和の・・・多分、夫がちやほやされてた少年時代の映画とかね。
ただね、それを一緒に見ていても、なーんにも会話が無いんですよ。
で、納得できないと気が済まない私は(多分自閉症のせいもあるけど)聞いてみた事がある。

Q.なんで見てもいないテレビを流しているの?内容頭に入ってないよね?
A.テレビは環境音で流しているだけ=音が無いと何となく不安だから流しているだけ。内容はぶっちゃけどうでもいい。
(実際、録画を消化すると言って、見終わってもメニュー画面のまま放置されている事が何度もあった)
Q.私に同じ部屋にいろと言いながら会話もスキンシップもとらず、ずっと同じ場所にいるのはなんで?
A.ネットはもちろん、自分の好きなサイトを巡回しながら艦これやってるのが一番楽しいし落ち着くから。
後は視界の中に入っていてくれさえすれば落ち着くから。
Q.ご飯のタイミングとかはどうすればいいの?
A.飯?別に好きな時に自分で適当に食べるし。
Q.じゃあ、私がここにいる「意味」は?
A.(無言)

意味なんてないよね。未来永劫、人との関わりを自分の都合の良いときにだけ持ちたい「ソリスト」だもんね?
誰がそんな、自分本位な関係を望むかよボケ。
そう思ったら、努力していた年月が非常にバカらしくなった。
無理に夫の部屋にいる事を止めた。自室(寝室兼私の荷物が置いてある部屋)にこもり、給仕の時だけ夫の部屋に行くようにした。
次に、仕事を始めた。最初は自分の小遣い、お茶代ぐらい稼げればいいなと思って始めた。
今年で3年目。順調に仕事は大きくなり、先月、仲介せず、直接契約まで要請してくるクライアントも出始めてくれた。
まだ自立できるだけの収入ではないが、いずれはそうなるのかもしれない。ここは、私の努力次第だが。

その時になっても、私はまだ「ソリスト」と暮らす選択をするだろうか。
今のところはNOだ。ソリストならソリストらしく、一人で生きていけばいい。都合良く甘え、都合良く使う。人間は道具じゃない。
私は会話がしたい。互いの意見を交換し、思った事を話したい。一方的じゃなく、互いに色んな事を共有し、通じ合いたい。
「男性から見た女性」を聞きたいし「女性から見た男性」も聞きたい。そうする事でわかり合える部分があると思うから。
だが夫からすれば、そんな事は「下らない」「無駄な事」だという事なのだろう。彼にとって、興味の無い事は会話したくないのだ。
大好きな車や登山の話はいくらでも自慢そうにしゃべっているが、私の会話になると途端にPCを触りだし、反応すら示さなくなる。

あーなんだろう、涙が出てきた。とりあえず、今日はこの辺で止めて、仕事に戻るかな。

14時43分、祝日なのに、別々の部屋で過ごす日にて、甘いココアを横に置きながら。

はてぶって一体ナニ?

もうそんな所から知らないというね!
ネットに触って20年近くになりますが、本当に知らない事ばかりです。

では、簡単に自己紹介を(特定されない程度に適度なフェイク有り)
1980年代生まれ、現在30代。
一応専業主婦のつもりでしたが、最近ガチでフリーランス始めますた。
専業主婦って書いてある通り既婚です。夫との関係は可も無く不可も無し。
3年前、国指定の難病が発覚。2年前、言語IQ120over、動作IQ80の自閉症スペクトラムADHDの診断が専門医から正式に下りて現在治療中。
どちらも根治するものでは今のところないので、所謂対処療法や認知療法を繰り返している状態。

明るく穏やか、話しやすくてそれなりに仕事ができると思われてますが、ガッツリ仮面です。
2週間に1回ぐらい「どうやって楽に死のうか」と安定剤を飲みながら考える根暗兼鬱体質。
出生から現在までの人生を、主治医から「そのまま書くだけで凄い事になるよ」と言われ、そのうち自叙伝でも書こうかと思ってます。

はてぶでw

仕事柄公式ブログ的なものもありますが、ここは身内・友人の誰にも公開していません。
本当に匿名ブログとして、自分が日々「本当に考えている事」を書き連ねるために開設しました。
(万が一辿り着く可能性は否めませんがね)
どんだけ明るく見えようが
どんだけ仕事頑張ってようが
どんだけ人生誠実に生きようともがいてようが
所詮は全てを「演じ続ける」道化師のような女です。

そんな女が笑いながら涙を流し続けるブログ、寓話の1つとしてお楽しみいただければ幸いに存じます。
ごゆっくりお過ごし下さい。

私はまず、はてぶの海を泳ぐ事からスタートしてみようと思います、はい。